
公立高校に引き続き、私立高校も無償化されました。 選ばなければ、高校生になれないということは、ほぼありません。 大学も同様ですね。 定員割れの大学も多いですから、選ばなければ必ず大学生になれます。
そう、問題は "選ばなければ" です。 受験をクリアしなければ選べないということです。 もし勉強せず、受験をクリアできなければ、 自分ではなく、他人が選びます。 それを拒否することが出来ません。 受験がある世の中で、勉強することは、自分で選ぶこと と同じ意味になります。
自分で選ぶためには、勉強する必要があります。 そこに好き嫌いはありません。 好きでも条件に到達しなければ実現しません。 嫌いでも条件に到達していれば実現します。 そこにあるのは「できる/できない」であって、やる気や好き嫌いではありません。
今の世の中ほど「やる気」が軽い時代もありません。 必要であるのは「できる/できない」だけです。 やる気や好き嫌いはまるで評価されません。 できる/できない、した/しなかった、ひたすらこの積み重ねが評価される時代です。
だから、多くの人が資格を取ります。 工業や商業といった実業系に進んだ場合、周りの大人は何度も何度も「資格を取りなさい!」と言います。 何が出来るのか、何をしてきたのか、ちゃんと証明しなさいということです。 大学でも同様です。
良し悪しは別にして、それが現実のありようとなってしまいました。 このような世の中では、勉強することは、必要で行動すること と同じ意味になります。
中高生は期限に負われています。 決まった時期に必ず定期試験があります。 宿題は常に期限までに提出しなければいけません。 毎日何ページすべきか計算する必要があります。 忙しい平日と暇な休日は違います。 部活があれば試合の日程が組まれます。 宿題や予復習が出来ない日もあるでしょう。
このような状況では、勉強ができること = 未来を予測して行動できることです。 少なくとも、1週間の範囲において、いつなら勉強できるのか、どれくらいできるのか、そんな見通しが必要です。
良し悪しは別として、それが現実のありようです。 このような世の中で勉強することは、未来を予測して行動すること と同じ意味になります。
中高生の勉強しなければならない科目は5つです。 しかもその科目の中で更に細分化されます。 例えば理科だけでも 生物,化学,物理,地学 の4つです。 国語でも現代国語と古典漢文の の2つから3つです。 つまり、複雑で量が多いということになります。
複雑で量が多いのですから、何を優先し、どの順番で行うのか決めなければなりません。 苦手から克服するのか、得意を伸ばすのか、どうやってそれを行うのかも決めなければなりません。 それを考えずにしても、時間ばかり掛かって結果に結びつかないことになります。
何をどの順番で行い、そのために準備することを段取り1といいます。 複雑で量が多い状況では、勉強することと、段取りを取ること は同じ意味になります。
勉強で必要となることは以下の通りです。 つまり勉強ができる状態は以下の能力を備えているということにもなりますね。
つまり、役に立つか役に立たないかで言えば、役に立つに決まっていると言えます。 学習能力が高い人は、仕事がよくできる人でもあります。 むしろ、社会に出てこれらがないと、非常に困ったことになります。
大事であるのは、これは高偏差値や難関校への進学を意味しているわけではない ということです。 どんな職業であれ、進路であれ、それぞれの人が今よりも高いこれらの能力を身につけるプロセスが 勉強 です。 勉強とは「よく生きることだ」と言っても良いかもしれません。
学校での勉強は、このような能力を身につけるためのものです。 勉強を単に成績のためのもの、順位をつけるためのもの、進学するためのものとは思ってはダメです。 それよりももっと大事で、もっと切実な何かといえるかもしれません。
段取り: 物事を進めていく手順や、そのための用意、工夫。 ↩